SPECIAL COLUMN

#16「全てが当たり前になるとさ、」/妹尾ユウカ

恋愛をしていると、自分が不幸に思えることがある。「一緒にいる」というだけでは満たされない。「付き合っている」という肩書きだけでは「愛されている」と感じられない。言葉が足りない、気遣いが足りない、尊敬が足りない、褒美が足りない・・・足りないものを浮かべる度に、相手のことも自分のこともどんどん嫌いになっていく。なんか不幸だし、なんか惨め。
気晴らしに開いたTikTokで、たまたま出てきたお似合いのカップルがそんな気持ちに拍車をかける。完璧なラブソングは違った意味で心に刺さる。

けれど、本当に不幸なわけではない。それは自分でも分かっている。幸せが近くにあるからこそ、少し足りないものを「不幸だ」と嘆くことが出来る。人は存在しないものよりも、足りないものに不満を抱く。つい先日、山中湖に行った時の私もそう。いっそ圏外であれば諦めがつくのに、かろうじて3Gであることに不満が募った。

愛の言葉の代わりに

月並みな言葉になるが、多くの不幸は気付かないことによって生まれる。以前、アメリカのテレビ番組でこんなシーンがあった。ゲストは「夫や子供に『愛してる』と言ったことが一度もない」というインド人女性。彼女に対し、司会者であるアメリカ人男性が「愛情表現はどうしているの?子供を寝かしつける時にはどんな言葉をかける?『いい夢を』とか?」と興奮気味に尋ねる。すると彼女はこう答えた。「3時間寝なさい。そして、起きたら医学大学の受験勉強をしなさい」「お茶を入れてあげる」こういった言葉や行動が、彼女にとっての愛情表現だという。「言葉がなくても愛がないわけじゃない。多くの愛がある。愛してるという言葉を使わないだけ」そう話していた。

私はいつも明確な言葉や分かりやすい愛情表現を求めている。けれど、彼女の言う通り、それらがないからといって、決して愛がないわけではない。日常に潜む「当たり前」にはきちんと愛が存在している。もしかしたら、私の「足りない」は不足を嘆いていたのではなく、プラスαをねだっていたのかもしれない。

幸せな勘違いが生んだのは

昔は一つ一つ「喜び」として認識できていたものが、いつしか「当たり前」となり、喜びを感じられる機会が減り、それを不幸と結びつけていた。そういった私の幸せな勘違いから、不幸は生み出されていたのだろう。これまでずっと「思い通りにならない」と「愛されていない」を混同していたのかもしれない。

妹尾ユウカ

独自の視点から綴られる恋愛観の毒舌ツイートが女性を中心に話題となり、
『AM』や『AERA.dot』など多くのウェブメディアや『週刊SPA!』『ViVi』などの雑誌で活躍する人気コラムニスト。
その他、脚本家、Abema TVなどにてコメンテーターとしても活動するインフルエンサー。

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