SPECIAL COLUMN

#2「20歳と25歳で変わったこと」/妹尾ユウカ

今年で25歳になる。コラムを書くことを生業としてから、もう7年が経とうとしている。このごろは年齢を知って驚かれる機会が格段に減り、”後輩”という信じ難い存在も平然と登場するようになった。どうやら私はサークルの先輩と終電を逃した高田馬場駅や、ソジュハンザンのイケメン店員への恋煩いを知らないまま、アラサーになってしまうようだ。

どこへ行っても私が一番若かった。そんな社会がつい昨日までは確かにあった気がしている。
中高生の頃に想像していたハタチは完全なる大人のはずだったが、いざ自分がハタチになってみると大人の実感は全くなかった。そして、ハタチの頃に想像していた25歳は”いよいよ逃れようのない大人”のはずだったのだが、カメラロールにも鏡にも大人の姿は写っていない。

きっとみんな誰かのお嫁さんのはずだった

女の子が子供の頃に想像していた25歳は、誰しも誰かのお嫁さんだったのではないだろうか。けれど、私の半径5メートル以内にいる女たちは誰も、誰のお嫁さんでもない。優しい男の手を「優しいだけ」と振り払い、背を向けて眠るような男に「あなただけ」としがみついているうちに、みんな歳をとっていた。きっと「優しい男が1番いい男だった」とようやく気付いた頃、私たちはオバサンになっていて、彼は誰かのものになっていることだろう。

そんなエンディングを想像すると、今すぐにでもサフィール踊り子に乗って、終点の下田まで感傷に浸りたい気持ちにもなるが、これでいいような気もしてる。私たちは誰もが羨むようなものを容易く手に入れ、気まぐれに扱い、踏みにじってはそこら中に棄ててきた。7年前、特別なことを「当たり前」と呼ぶ代償に、”普通の幸せ”というものは西麻布交差点付近に置いてきた。今ならまだ間に合う気もするが、取りに帰ることはしないだろう。きっと、これからも贅沢を味方に暮らしていこうとするのだろう。

お嫁さんになる代わりに得た物

出会いを求めた先々で、そこそこな男との未来の代わりに「私たち」に含まれる、友達の数ばかり増えていった。彼女たちのおかげで「今が最高に楽しい」と胸を張って言えるのだが、彼女たちのせいで宙に浮いたレジ袋のような暮らしを今日になってもやめられずにいる。女友達というものは最大のセーフティーネットになる反面、ノリや無鉄砲さにいつまでも空気を入れてしまうようだ。

妹尾ユウカ

独自の視点から綴られる恋愛観の毒舌ツイートが女性を中心に話題となり、
『AM』や『AERA.dot』など多くのウェブメディアや『週刊SPA!』『ViVi』などの雑誌で活躍する人気コラムニスト。
その他、脚本家、Abema TVなどにてコメンテーターとしても活動するインフルエンサー。

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