ハッピーエンドだけが幸せではない
私はいつまでも"互いは異性である"という認識を持っていたい。先日、知人から「気を抜ける人を探すのが面倒だから、今の彼氏と別れずにいる」という話を聞いて、私とは全く異なる価値観に驚いた。これは私が2年前に離婚を決断した理由の一つでもあるのだが、気を抜ける相手を選ぶことは女であることへの怠惰である。どちらが正しいという話ではなく、あくまで私は女でいることに喜びを感じているので、その点においてラクをすることは生き甲斐をなくすようなものなのだ。
世間的には、"一人の男に幸せにされて、おだやかな暮らしを一生涯し続けること"が幸せのゴールとされているが、そもそも、私は私の人生を男に幸せにしてもらおうだなんて思っていない。恋愛は必ずしも、ハッピーエンドだけが幸せなわけではない。
取っ替え引っ替えチャランポランに遊んでいられる身分であることに、すでに幸せを感じているし、それを実現させてくれる全ての要素に感謝をしている。休日は娘を預かってくれる家族、口裏を合わせてくれる女友達、キュートな容姿を作り上げてくれた美容外科医、他の男の影に目を瞑ってくれる男たち、みんな本当にありがとう。
男に唯一求めるものとは?
最後に、そんな私が男に求めるものといえば、「退屈ではないこと」ただそれだけである。今年、ついにアラサーの仲間入りをするが、当たり前に将来性や安定性といった観点などどうでもいい。
私にとって、”つまらない男”という生物は”ひどい男”よりもよっぽど最悪な存在である。ひどい男は悲劇であっても女をヒロインにしてくれるが、つまらない男は女をまるで村人Aのような気分にさせてくる。私はどんな劇でも構わないから、必ずヒロインでありたいのだ。