SPECIAL COLUMN

#15「無知が人生を退屈にする」/妹尾ユウカ

私にはまだまだ訪れたい国や場所が沢山あるというのに、コロナ前のハワイ旅行以降、海外に一度も行けていない。今年に入って、入国条件が緩和された国が多くあることから、最近ではSNS上でパリ、ハワイ、タイ、韓国といった様々な国で、友人たちがバケーションを楽しむ姿が窺えるようになった。中でも、タイでは大麻が合法化となり、入国の際にもPCRの陰性証明やワクチン接種が不要であることから、多くの友人たちが訪れている。

そういえば、私はタイに行ったことがない。ワット・アルンもピンクガネーシャも見たことがない。とはいえ、25年間生きてきた中で、これらを「絶対に見たい」と思ったこともないのだが、今の私にとって「見たことない」は「行く」に値する充分な理由だ。

大人の無知は許される?

2ヶ月ほど前、今年のテーマは「知らないことを減らす」に決めた。無知な大人にだけはなりたくないからだ。若い間は無知であることも「可愛い」に変換してもらえる上に、知識や知性の差によるコミュニティーからの除外も多くは起こらない。若いうちは「互いに若い」という共通点だけで、関わり合いを持つことが出来る。子供たちがいい例だが、幼ければ幼いほど、互いの関心事が違っていても、彼らには大きな知識・知性の差がないことから、簡単に親しくなることが出来る。

一方、大人はどうだろうか。これは私がAbema TVのニュース番組に出演した際に、身をもって痛感したことだが、大人の無知は置いてきぼりになるだけだ。義務教育では習っていない事柄も、当然に知っていることが"大人の義務"となっている。冠婚葬祭マナーはその最たる例だ。習う機会を設けられずとも、知らなければ「無知」や「非常識」に分類されてしまう。

大人の対等な友人関係においては、知識や知性の差でコミュニティーが分断されやすい。これを逆説的に証明しているのが、地元のヤンキー集団である。彼らにはずっと、知識・知性の差がないからこそ、いつまでも同じ顔ぶれで連み続けることが出来るのだ。決して、それが悪というわけではないが、あくまで私にとっては虚しく耐え難いことである。

意見を持てることの価値

無知は人生を退屈なものにする。先日、私は初めて劇団四季のチケットを購入したのだが、それを横で見ていた知人から「あれはつまらないよ」と水を差された。けれど、チケットを購入したことを後悔はしなかった。なぜなら、今の私は「そうなの?」以外に返答を持っていないからだ。見たことがないから意見もないので、彼女の言葉に同調も反論も出来ない。たとえ、劇団四季のミュージカルが彼女の言う通り、私にとってもつまらないものだったとしても、意見を持てるということに充分な価値がある。

さらに、無知であることはやがて、私を"モテない女"にしてしまう。今がモテるかと言われれば、謙虚さにこめかみをぶたれて首を傾げる程度、つまりは文字にして「まあね」といったところだが、このままではあと3年が限界である。きっと、あっという間に、男にセックスをさせてあげる側から、パートナーにセックスをしてもらう側の人になってしまう。それを回避するために欠かせないのは、ボトックスと糸リフト。それに加えて、知識や知性といった教養と品。歳を重ねて無知であることは、魅力の無さに直結する。シワ以外に深みのない人間になってはならない。

こうして話が長くなることで、新米オバサンであることを自覚せざるを得ないが、気にせず話を続けよう。人目に無頓着になることは、オバサンの弱みであり、強みでもある。

妹尾ユウカ

独自の視点から綴られる恋愛観の毒舌ツイートが女性を中心に話題となり、
『AM』や『AERA.dot』など多くのウェブメディアや『週刊SPA!』『ViVi』などの雑誌で活躍する人気コラムニスト。
その他、脚本家、Abema TVなどにてコメンテーターとしても活動するインフルエンサー。

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