肩書きに課せられた期待
曖昧な関係でいるうちは不安を泳ぐことが苦しいが、「恋人」のタイトルを得た後も、また違った苦しみが発生する。そんなことを学んだ恋だった。私にとって”付き合う”ということは、文字通り、相手の良いことにも悪いことにもとことん付き合うという意味であり、交際とはその意思表示をするための手段である。彼は昔、「付き合っているのだから好きなのは当たり前」なんて寝ぼけたことを抜かしてきたが、「彼氏」「彼女」という肩書きを与え合ったことが安定剤となる有効期限はほんの一瞬限りである。それ以降は「彼氏なのに」「付き合っているのに」といったテイカー思考に陥っていく。相手を見る目は厳しくなり、付き合う前には求めなかったことを、交際という口約束を交わした途端に求めるようになる。そんな「恋人」という肩書きに対する私の期待は、相手にとってさぞ重荷だったことだろう。
後出しジャンケンにはなりますが
今になってこんなことを言うのは卑怯な気もするが、付き合って良かったと心底思っている。これだけたくさんの男と関わっていても、付き合ってくれた人の存在だけは忘れたことがないからだ。たかが口約束を交わしただけ、ほんのそれだけのことであっても、付き合うという誠意を向けてくれたことを大事にそっと覚えている。そういう可愛らしい一面もある。
幸せだったかと聞かれても、首をゆっくりと傾けてしまいそうだが、好きだったかと聞かれれば、すんなりと縦に頷ける。だからこそ、早いうちに別れて良かったとも思っている。もっと時間をかけて、取り返しがつかないほど愛してしまってからでは、心が持たなかったような気がするからだ。不幸な結末になった程度で許されたいと思っている。ハッピーエンドを目指すことがなにより私は怖いのだ。