SPECIAL COLUMN
#14「満たされようとして擦り減らないで」/妹尾ユウカ
年々、受け身の取り方が上手くなっている。子供の頃は、転ぶたびに分厚いカサブタが出来るような生傷を負っていたが、今ではせいぜい捻挫や打ち身で済んでいる。恋愛においてもそう。泣きじゃくるまで心に傷を負うことや、去ろうとする者をなんとしてでも繋ぎ止めたいという執着。そのためのエネルギー。それらが近年、私の中から早足で消え去ろうとしている。
7,8年前までは、詮索が趣味で嘘を咎めることが特技だったが、そんな遊びも当分していない。相手が私に隠していることは、私が知らなくていいことであり、真実に耐えられない人間が、嘘を嫌うのは利口ではない。そんなことにようやく気付いたからだ。
失われた執着や依存
執着や依存の渦中にいる女を見ると、今の私は「その彼にこだわる理由はどこにあるのか」と疑問に思う。決定的に許せないことやぞんざいな扱いを受けてまで、なぜその相手といたいと思えるのか。かつての自分ならば、当然に持ち合わせていたはずの感覚が、今ではちっとも分からない。だって、これまで愛してきた男たちは皆、結局のところ"運命の人"を装った素敵な通過点だったから。結果論ではあるが、退屈な男もクズな男もどれも必要悪であり、通過点だった。そして、常にその運命の人(仮)には、2週間もあれば代わりの役者が見つかった。
そういった経験を繰り返す内に、一人の男に対する、こだわりや執着、依存といったものが失われていった。贅沢な悲劇だ。好きを原動力に不可抗力に逆らう気力がもう残っていない。例えば、浮気をされようものならば、静かに「別れる」という選択に至るだけ。ちなみに、私には浮気をされても許せる相手と許せない相手がいるので、あくまでこれは後者と交際した場合にのみ適用される裁きであり、そこのところは少し複雑な女なのである。