愛とは確信です
「大事にされているか」「愛されているか」そんなことが気にかかる時点で、大事にされていなかった。愛されてもいなかった。少なくとも、私が求めていたほどは。私が満たされるほどは。
満たされていない時ほど、相手のことばかり考えていたような気がする。満たされないのは自分の私生活が充実していないせいか、相手の不足か。あるいはその両方か。どうしようもないことを「どうしよう」と悩み続けているうちに、「やっと」なのか「もう」なのか。進展も好転もないままで1日が終わっていた。
本来、「愛されている」というのは確信だ。そこに疑いや迷いは発生しない。連絡が多少マメではなくても、会う頻度がそんなに多くはなくても、本当に愛されている時、そこには「愛されている」という確信があるはずだ。
月日が流れ、景色にも慣れ、色んなことが当たり前になり、一緒にいるという愛情表現はただの日常と化していったとしても、「この人は私を想っている」と思える人といるべきだ。私にとってのいい男はそんな確信をくれる人。悪い男は愛されている確信の代わりに、不安や疑問ばかりをよこす。
損切りのススメ
これまでの時間を無駄だったと認めることを恐れて、別れを先延ばしにしてはいけない。その考えこそが一番多くあなたの大切な人生を無駄にしてしまう。最速で切り捨てることが、無駄を減らす最善策だ。
今、私がこんなことを言えるのは、元カレたちのおかげである。一見、無駄な恋であっても、学びに変えることさえできれば全てが無駄になるわけじゃない。誰かを好きになり、綺麗になったあなたの姿も決して無駄にはならない。起きた出来事に意味を見出し、次に活かすことさえできれば、無駄なことなど一つもない。本当に。本当だよ。